慈恩寺のこと

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慈恩寺のこと

立派な山門に威風堂々な本堂。皆さんはお寺に対してそんなイメージをお持ちかもしれませんね。
でも、慈恩寺はそんなイメージとはかけ離れた外観をしています。それは、これまでの慈恩寺の歴史が色濃く影響しています。

慈恩寺は、法然上人によって開かれた浄土宗の寺院です。
正式には「浄土宗 喜光山 観照院(きこうざん かんしょういん) 慈恩寺」といいます。
詳しいことは、江戸時代に火事に遭っているために明らかではありませんが、伊達家藩主・伊達政宗が深く帰依した鑑蓮社正殘上人(かんれんじゃしょうざんしょうにん、後に呑茶と改名)の隠居寺として、また伊達家の家臣が関係した寺であったとも伝えられます。

お寺が開かれてから400年以上の年月を重ねましたが、その歴史は順風満帆ではありません。それは、明治17年(1884)に第17世住職が亡くなられて以降、寺に常駐する住職がいないという困難な時代を迎えます。
寺に常に住職がいないということは、まるで担任の先生がいなくなった学校の教室のようなものです。生徒たちが右往左往するように、当時の檀家さん達もどんなにか混乱されたか想像に難くありません。
昭和51年頃には、仙台駅東口再開発事業計画に伴って墓地移転問題などの様々な問題が降りかかります。
寺に住職が常駐していないことや寺として財政的に厳しかったことも相まって、それまで以上に困難な状況を迎えましたが、当時の兼務住職を中心に総代さんをはじめとする檀信徒の方々のご尽力によって何とか現在の境内地を確保することができました。

丁度その頃、慈恩寺と同じように区画整理事業のために取り壊す予定であった家屋があり、庫裡として貰い受けて移築し、雨漏りの酷かった旧本堂も現在の仮本堂に建て替えられました。
慈恩寺の建物が、一般の家と町の集会所がくっつけたような外見をしているのは、実はこのためです。
平成7年には、傷みの酷かった本尊に替わり新たな本尊をお迎えし、翌平成8年(1998)には、実に114年振りに現住職が正住職を拝命し現在に至っています。

慈恩寺は、「ナムミダブツのおてら」というキャッチフレーズがあります。
それは縁のある全ての方が、「ナムアミダブツ」とお念仏をお称えされ、阿弥陀様に救われますことを願い「ナムアミダブツのおてら 慈恩寺」と称しています。

慈恩寺本堂入口
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